「老いる勇気」 by 岸見一郎
ただ生きているだけで、あなたは人の役に立っている――ベストセラー『嫌われる勇気』の著者が、「老い」と「人生」について語る。余命は誰にもわからない。この事実は変えられない。変えられるのは、私たち自身の「意識」である。“老いる勇気”――老いた「今」を幸せに生きる勇気とは、人生の見方をほんの少し変える勇気なのかもしれない――。
以前 ベストセラーの『嫌われる勇気』を読んでから
アドラーの心理学が好きになった。
「課題の分離」
「すべての人間関係はヨコの関係である」
「今、ここ」を真剣に、全力で生きる
とかのキーワードは私の中に 少しは刷り込まれ
何か考えなきゃいけない問題に直面した時は思い出すようにしてる。
で、
自虐タイム、いってみようか(笑
「上州武尊山スカイビュートレイル」のオールスポーツ写真が
できてきてさ〜
私にとって あのオールスポーツの写真ってね、
自分の現実を目の当たりにし
ありのままの自分を受け入れる力をつける
1つのツールになりつつある(;´∀`)
今回も思ったよ・・・
「こんなおばあさん顔の人が こんなに頑張っている。
頑張れ、おばあさん、
頑張れ、おばあさん、
よくやってるよ、おばあさん」
てね(;´∀`)
で、
「老いる勇気」も読んだしだいで(笑
今回も ハッと思わせる言葉があった。
「キーネーシス」と「エネルゲイア」
時間や人生を一本の直線としてとらえる「キーネーシス」においてはどこに到達したか、何を成し遂げたかということが重要になります。何事も速やかに、効率よく成し遂げられる事が望ましく、動きが中断されたり、寄り道をしたりすると、それは未完成で不完全な動きということになる。例えば、飛び級での進学やスピード出世は、キーネーシスの観点から言うと、望ましい動きです。一方、若くして亡くなった人の人生や、完走できなかったマラソンは、不完全で未完成な動きということになります。
しかし、たとえどこかに到達しなかったとしても、そのプロセスの一瞬一瞬が完全であり、完成されたものであると考えることもできます。この場合、時間や人生の長さは問題になりません。
「なしつつある」ことがすべて、そのまま「なした」ことになる動き。これがアリストテレスのいう「エネルゲイア」です。
エネルゲイアは、例えるならダンスのような動きです。ダンスは、踊っている一瞬一瞬が楽しいのであって、踊りきらなければ楽しめないというわけでも、どこかに到達するために踊っているわけでもありません。
人生も、生きている「今、ここ」が、それ自体で完成されたエネルゲイアです。
なるほど・・・
「エネルゲイア」か〜
知らん言葉だった〜( ´∀`)
プロセスの一瞬一瞬が完全であり、完成されたものか〜
自分がこれから どんどん老いていくにあたって
昔の自分と比べて 落ち込むこともあるかもしれない。
(体力的なものとか ばあさん顔とか(;´∀`))
そんな時は 一瞬一瞬の「今、ここ」に焦点あてて
ダンスのように楽しむわ( ´∀`)
トレイルの下りも ダンスのように、ステップ踏むように、
って言うからさ、軽やかにしなやかに
「キーネーシス」ばかりに着眼しない生き方も
これからの老いの人生を楽しむ為のポイントかなって 思った。
あと「生産性で人の価値は決まらない」
っていう言葉も心に残った。
「今の自分にできることを活かし、自分がどんな状態であっても、そこにいるだけで、生きているだけで他者に貢献できる」
様々な場面では 生産性で社会は回っているけれど
そういう場を離れた時 自分の価値とはいかなるものか・・・
なんて思う時があるかもしれない。
ちょっと 心にとめておこうと思う( ´∀`)
そんなんで 著者の岸見一郎さんは 以前 テレビで見た時
語り口が穏やかで 非常に好みだった。
「穏やかで ぶれない」、そんな強さを感じるお方。
まだまだ 彼の本を読んでみよう♪
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